不幸の理由。作者の溜め息。

その2

 とりあえず、回想といこうじゃないか。
 思い出されるのは今日の朝。いつも通り代わり映えしない一月のある日の朝だ。
 むっくりと起きあがる俺こと大和田勇気(おおわだ ゆうき)。目覚まし時計なんていいものは持っておらず、凍えるような寒さで自然と目が覚めた。小学生の頃、理科室からがめてきた温度計を見る。気温、マイナス三度。素晴らしく目覚めのよい朝だ。
 冷水で顔を洗い、凍えながら台所へ。ちなみに洗面所から台所まで約三歩。近い。かなり近い。そしてさらに余談だが俺の家は1DKちゃっちぃアパートだ。家賃二万五千円となかなかリーズナブル。昔ここで自殺者が出てらしいのでこの価格。ちなみに平穏に暮らしているので大丈夫……だよね?
 朝飯を食べるために冷蔵庫を覗くが、見事に何も無し。何か食うものはないかと辺りを見渡す。……あ、リンゴ一個めっけ。
 さっと洗って皮ごと囓る。皮、捨てるの勿体ないしね。
 そこで少し余裕ができて、家の中を見渡す。お袋の姿は見えない。どうやら今日もどっかの男の家に行っているらしい。
 しかしまぁ、お袋はようやるわ。
 リンゴをかぷりと囓りながらしみじみ思う。えっと、確か今付き合ってるのが十五人目だっけ。いや、十六人目だっけ。
 分かりやすく言えば俺のお袋は色欲魔神。あっちのイケメンにふらふら、こっちの金持ちによろよろ。お陰で俺の生活はこんな有様。超貧乏。ま、お袋は貢ぎ物とかでシャ○ルとかエル○スとかいうブランド物を一杯身につけているわけですが。
 でも、それだけふらふらしてたら罰が当たるんですよ。はい。
 そんなお袋に見かねた親父――あ、親父はいいやつよ。こんなお袋に呆れて別居してるけど。ちなみに俺はお袋が心配で残ったの。いいやつでしょ、俺――がとうとうキレて、ようやく離婚することになったんだよねぇー。それで、現在裁判で争ってる最中。問題は慰謝料と俺の親権。
 何故か一方的に悪いお袋が理不尽にも慰謝料を請求。そして俺の親権もほしいって言ってるんだよね。親権が欲しいのは男を落とすための手段だろう。女一人で息子をここまで育てたっていうところにそそられる男がいるみたい。なんか、本当に芯から嫌な母親だ。捻くれすぎだろ。
 俺までも巻き込んで大騒動。祖父さんや祖母さんも出てくるわ、おばさんもおじさんも出てくるわ親戚全部巻き込んでるんです。
 ってなわけで、ここ最近俺はくったくた。身に降りかかる不幸が俺の若き心をどんどん衰えさせていく。
 しかぁーし、そこで腐る俺ではない!
 見事芯まで囓ったリンゴをゴミ箱放り込み、俺は制服に袖を通し、歯を磨き、身支度を調える。丹念に寝癖を直し、ニカッと鏡の前で笑う。オッケ。準備万端。
 頬を二三度叩き気合いを入れ、戸締まりをしっかりしてアパートを出る。まぁ、泥棒に入られることなんてないんだけどね。
 そして軽快な足どりで俺は駅へと向かう。ちなみに、電車通学ではない。学校に行くなら反対の道を通らなければならない。しかし、俺は駅に大いに用があった。
 俺の彼女である、野山和美(のやま かずみ)ちゃんが駅で待っているのだ。そう! 今俺は青春のまっただ中で、可愛い彼女を持っている男なのである。
 和美はクラスでも五本の指にはいるくらい可愛い女の子だ。昨年の十月頃に俺から告白して付き合いだした。苦節十五年、その日をどれだけ待ち望んだことか。ちなみに、それまで十回は撃沈した。南無。
 と、まぁ彼女ができたことで浮かれまくって年を越し、離婚騒動に巻き込まれながらも和美の存在でここまで乗り切ってきた俺。つまり、和美は俺の心の支えであり、女神様なのである。
 そんなこんなで駅が見えてくる。それほど大きな都市ではないが、朝の駅周辺はさすがに混んでいる。毎朝、和美は大抵噴水前で腰を下ろして俺を待っている。ああ、愛しの和美。もうすぐ行くから待っていてね!
 キョロキョロと辺りを見渡しながら和美を捜す。そして噴水前。やっぱし今朝も和美はそこにいた。
「おーい、和美〜!」
 と、俺は手を振って和美を呼ぶ。俺の声が聞こえたのか、和美はビクッとして、俺の方を向いた。
 なんか、変だ。
 いつもは座って待っていた和美が、今日は何故か立っていることに気づく。
 いや〜な感じの汗が首筋に流れる。俺の身体が本能的に、不幸な出来事が起こる前兆を告げていた。
「お、おはよ。勇気くん」
「おおお、おはよう。和美」
 気まずい。なんか気まずい。伏し目がちな和美。ちらちらと俺を見るその目は、激しく何か後ろめたいことがありそうな眼差しだ。
「あ、あのね、勇気くん」
「は、はい」
「じ、実はね」
「はは、はい」
「別れて欲しいの」
「ははははは、えぇ!?」
 まさかの言葉。そんな! 絶対に出ないと信じていた言葉が和美の口から発せられた。いい具合に俺の震えもパワーアップする。
「だからね、私と別れて欲しいの」
「ななななな、何でっ!」
 かなり混乱しているのが自分でも分かる。上ずった声。周りから見れば激しく変な人だ。速攻通報ものだ。
「ごめんなさい! それは言えないの。じゃ、じゃあね、勇気……ううん、大和田くん。また学校で」
 手を振りながら走って去っていく和美さん。呆然と立ちつくす俺を、怪訝そうな顔で見る朝帰りと思われる酔っぱらい。息がくさい。ここまで臭ってくる。
「う、うううぅぅぅ……」
 力無く地面にへたり込む俺。ああ、俺の心の支えが。心の女神様が失われてしまった……。
 まさに天国から地獄へ蹴り落とされたような感じだ。釈迦だってこんなひどいことはやらないはず。絶対にやらないと信じていた。
 あまりのショックに涙すら出ない。壊れたように乾いた笑い声を出す俺。半径約五メートル以内には誰も近寄らない。大和田ゾーンの完成だ。
 何とかショックから立ち上がる。注意すべき点は『立ち直る』、ではないことだ。『立ち上がる』なので注意してほしい。
 本当は学校をサボりたい気分なのだが、健気な俺は学校に行くことにする。へたり込んだ際に肩からずり落ちた鞄をかけ直し、ゆっくりゆっくり歩き出す。
 ああ、あんなに苦しくも幸せだった日々が、苦しさだけを残して壊れてしまった。しかも一瞬で。俺の足どりは一気に何キロもの錘をつけたかのように重くなり、気にならなかった冬の寒さが一気に身にしみる。
 寒いなぁ、寒いなぁ。
 和美からクリスマスプレゼントで貰ったマフラーに顔を埋めるも、全く温かくない。むしろ冷たい。冷たいよぉ……。
 やっと今になってほろほろと涙がこぼれる。ああ、今更泣いたってどうしようもないじゃないか。もう和美は俺の女神様じゃないんだから。
 だいたい、理由無しに振られるだなんてどういうことだよ。俺が何かまずいことをしたっていうのか? いや、そんなことしてないはずだ。高校生らしい健全なお付き合いをしてきたじゃないか。キスすらしたことないぞ。手を繋ぐくらいで限界だったんだぞ。こんな紳士的な彼氏がどこにいるんだ。これのどこが気に入らないんだ。
 ああ、どんどん自己嫌悪に陥っていく。自分のいいところ挙げたって和美に振られたことに変わりはないのに。何てこった。虚しいだけじゃないか。
 と、そこで人にぶつかる。結構勢いよくぶつかってしまい、俺はよろけた。
「あ、スミマセン」
 俺は振り返ってぶつかった人に頭を下げる。そして、口がぱっくりと開いた。
 坊主頭にアロハシャツ。黒いサングラスをかけ、頬に大きな十字傷。そしてその後ろには黒スーツに身を包んだ強面とマッチョが。
 なんていうか、どう見ても『や』のつく職業の方じゃありませんこと? っていうか冬なのに何でアロハ? 寒くないの? この人。
「よおぉ、兄ちゃん。うちの若頭になにさらしてくれとんのじゃぁ!」
「う、うわああぁぁぁぁ、ごごごご、ごめんなさぁぁぁい!」
「待たんかワレェ!」
「わああぁぁぁぁ!」
 黒スーツの男が三人四人と俺の後を追いかけてくる。とりあえず全力で逃げる俺。もう、さっきまでの哀しい気持ちはあっという間にどこか彼方に消え去り、そして今は死への恐怖がせり上がってくる。いや、冗談抜きで殺されっかも。
 学校へ続く住宅街を走り回る俺に黒スーツ達。怒声をあげながら走ってくる彼らはかなり恐い。ションベンちびりそうなくらい恐い。
 そして交差点に飛び出し、右に曲がる。丁度俺の横を車が通る。
「ぐぁっ!」
「げばぁっ!」
 突然の叫びに思わず後ろを向く。そこには、俺の横を通り過ぎた車に正面衝突した黒スーツ一に黒スーツ二。かなり痛そうだ。
 様子を見るために、そろりそろりと近づく。
「あ、あの〜。大丈夫ですかぁ……」
「大丈夫なわけ……」
 ゆらりと立ち上がる人影。ひしひしと感じる殺気。しかも何故か背後から。
「ないやろおおぉぉぉぉ!」
「うわあああぁぁぁぁ!」
 またもや追いかけっこ開始。車にひかれたというのに元気に俺を追いかけるこの人の身体の丈夫さと、根性には感服するが、できれば立ち上がらず救急車で運ばれることを願っていた。心の底から。
「待てやこらああぁぁぁぁ!」
 スミマセン、待てません。
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