不幸の理由。作者の溜め息。
その1
世界を創ってるやつって誰だと思う?
よく言うじゃん。神が世界を創られたとか、そりゃもう素晴らしいお方がここまで導いてくださったとか。
でもさ、それってどれも確証ないわけでしょ?
ホントのところ、誰が創ったかなんて分からないんだよね。第一、人が創ったとは限らない。自然のなすがままに世界は創られたという説の方が納得できる。
いや、よく考えれば、そっちの方が正しいだろ。
イエス・キリストは神の子で、その親が世界をお創りになった?
世界の神はアッラーだけだって?
そもそも、神って何だ? 世界を創り、人間の支配者たる者?
まぁ、こんな感じで無駄な考えだってことは分かり切ったことだ。
『誰か』が創ったと言うことよりも、『自然』に成ったと言う方が宗教的な対立も起きないし、わざわざ『創造神』を崇める必要もない。エネルギーの節約になるし、信仰していた時間をもっと有効に使うことだってできる。
だけど、世界はそんな無駄な『創造神』に救いを求める傾向がある。
それは己に降りかかった不幸な境遇の原因を、他のものに求めているからだろう。そして、何か得体の知れないものに救いを求めているからだろう。
つまり、不幸は自分の所為ではなく、この世に溢れる不条理なものが原因で、そしてまたその不条理で得体の知れない何かに救いを求める。
そこで生まれたのが、世をこのように創り上げた『創造神』であり、『神』となる存在だ。
とりあえずだ。
こんな訳の分からないことを述べているのにはもちろん理由がある。理由も無しにこんなことを語っていたら単なる危ない人だ。今すぐ精神内科に行くことをオススメする。
ああ、話が脱線しそうだな。よし、とりあえず現状把握をするとしよう。
今は冬だ。ああ、雪が舞っている。そりゃもう静かに静かに舞っているさ。しかも夜だ。外灯に照らされる雪は実に綺麗だ。おおう、あまりの綺麗さに涙がこぼれそうだね。うん。
そして場所の確認だ。
辺りを見回してみようか。実に静かな公園だ。何にもない。あ、滑り台くらいならあるな。ブランコなら結構前、事故が起こって撤去されちまったからないんだよな。同じくシーソーも。ちなみにシーソーで怪我したのは俺だ。懐かしい思い出は今でも俺の臑に痛々しい痕を残してくれた。鮮明に思い出せる俺の脳に感謝だ。何で感謝かは聞くなよ。
気温の方はたぶん零下だ。とりあえず寒い。小刻みに震えているからだろうか、妙に脳はハイテンションだ。脳内でこれだけ饒舌な場面なんてそんなにないぞ。いや、むしろ今までなかったな。うん。
あー、もう。
ぼりぼりと頭を掻く。ぼさぼさに伸びきった髪の毛がさらにぼさぼさになる。床屋いかねぇーとなぁ……。
い、いけねぇ!
現実逃避している場合じゃなかった。うん。現実から逃げちまったら何にも残らないじゃないか。
ゆっくりと、今まで伏せていた目線を上げる。その先には、なんか渋い昔の作家が被るようなベレー帽を被り、なのに服装は何故か甚平。片手に万年筆を持ち、もう片方の手には茶色の封筒が抱えられている。何て言うか、原稿とか入ってそうな封筒だ。
さらに、恐る恐る目線を上げてみる。顔は暗くてよく見えないが、なんだか女のようだ。女ね。はい。でも、こんな奇天烈な恰好している女性、見たことないぜ。かれこれ十六年くらい生きてきたけどさ。見たことないね。
さてさて。
別にこのくらいで俺が驚くことはない。変な女なんてこの世にはざらにいるもんで、そんなやつ一人一人を気にとめてなんかいたらきりがない。まぁ、エネルギーの無駄だね。無駄。
なら、何で俺がこんな奇天烈女の目の前で足を止めているかというと、そりゃまぁ、それに相応するくらいビックリするものを見ているからだ。
何て言うか、うん。その女は――
――宙に浮いていたんだよな。
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