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Every Day!!

3-15

「常に不安を感じていたんだ。佐織と晴れて恋人同士になれて、幸せでいっぱいなはずなのに、何故か心の何処かで得体の知れない不安感が湧きあがる。どんなに自分に言いきかせても、何度彼女の手を強く握っても、どれだけ彼女とキスを交わしても、その不安は決して消えなかった」
 園長は黙って俺の話を聞いていた。
 過去の回想? いや、きっとこれは懺悔だ。どうしようもない俺の、俺に対する懺悔。今まで逃げ続け、散々みなに迷惑をかけてきたことへの懺悔であった。
「恐かったんだ。目の前の幸せがするりと俺の手の中から逃げだすことに。この日々が俺の意に反して終わることに。怯えながら暮らしてた。幸せなはずなのに、それは薄氷の上にあるかのようで、いつか割れて冷たい水の中に落ちてしまうんじゃないかと感じていた」
 そうだ。俺は果報者だった。人当たりもよく、見目も麗しい佐織と付きあえて、学校生活だって順風満帆。全く持って日々の生活に不便はない。けど、本能は叫んでいた。危ないと。この幸せは危ない、と。
「まだ幼かったんだ。大きな不安があった。けど、それよりも強い思いがあった。俺は何でもできる。恐いものは何もないんだ。そう何度も自分に言いきかせて、怯えを心の奥にとじ込めた。そうでもしないと、まともにやっていける自信がなかった」
 強がりな自分。自信家の自分。憶病な自分。怖がりな自分。いろんな自分は交錯して、とんでも無く危うい橋を渡るかのような状態だった。
 精神的に不安定だった。まだ十年そこそこしか生きていないからかもしれない。初めてだらけの毎日。期待と不安が俺の心を撹拌する。
「そんな状況で、あの事件が起きたんだ」
「それが、原因で、お前は人との深い繋がりに恐怖を感じるようになったのだな」
「……はい。誰かが、俺と親しくしようとする度に、鋭い痛みが走るんだ。昔の、あのときの傷がじくじくと」
「話してもらおうか。少しでも前に進むために」
 事件は唐突に、そして残酷に起きる。



「えっ」
 その話を聞いた瞬間、私の頭はまっ白になった。
 彼女の口から紡ぎだされる大地くんとの過去は、幸せな毎日のように思えた。いや、実際に幸せだったのだろう。
 現に、そんな過去を話す佐織さんはとても穏やかで、過去の幸福を懐かしんでいた。聞いている私も、心が温かくなった。
 けど、こんなのありだろうか。幸せは唐突に終わる、なんて言ったりするけど、いくら何でもあんまりじゃないだろうか。
「仕方ないと言えば仕方ない。だってもう起きてしまったんだもの。しょうがないじゃない」
 そう言って、佐織さんは服をたくし上げた。白いお腹が、避難灯に照らされてまぶしい。彼女の肌は白くて、きめ細かくて、きっと触ったらすべすべで気持ちいいんだろうな、と私は思った。
 そんなお腹の右わき腹。そこには一筋の痕が残っていた。ピンク色で、少し盛りあがった痕が。
「大地くんと二人歩いていた。その日は珍しく日が沈むまで遊んで、暗い繁華街の外れを家に向かって歩いていた。少し心細くなって私はギュッと彼の手を握り、彼も握りかえしてくれた。その時、路地から彼らは徒党を組んで現れたの」
 すっと佐織さんの細い指が、痕をなぞってゆく。優しく、愛でるように。けど、とても哀しく。
 何もかもが失われたその日のことを思い出しているのだろうか。幸せな日々が、脆くも一瞬で崩されたあの日。
「そう言えばその辺りは夜になると、ガラの悪い連中がよく出て来ることを思い出したの。大地くんは私の手を引いて逃げようとしたけど、完全に取り囲まれていて無理だった。じりじりと追い詰められていったわ。路地の奥まで追い詰められて、男達は襲ってきた」
 もうこれ以上、聞きたくなかった。けど、何とか最後の一線で踏み止まった。聞かなきゃいけない。そう私は覚悟したんだから。
「大地くんは私をかばうように殴られ続けた。殴られる度にあげる呻き声に、私は身を竦めた。夢なら覚めて欲しい。そう願いつづけた。けど、私の腕が男達の中の一人に掴まれた瞬間、全身に駆け巡る嫌悪感で、ああ現実なんだ、って思った」
 佐織さんの口調が段々と荒くなってくる。いつもの、落ち着きはらった佐織さんの姿が少しずつ薄らいでゆく。
 ああ、これが佐織さんの本当の姿なんだ、と私は悟った。
 彼女もまた、私と同じ年齢の女の子。いろいろな感情を、ただ胸の奥にしまっていただけだと気付いた。
「大地くんは羽交い締めにされ、私は男に組みしかれた。瞬間、恐怖が消え、冷めた感情が一気に流れこんできた。きっとね、これからされることを悟ったんだと思うの。すっと目を瞑って、男の手が私の服に手をかけた。その瞬間だった」
 震える佐織さんの手を、私の手でそっと包む。彼女の手は、恐ろしいほど冷えきっていた。
「大地くんが雄叫びをあげながら、男を振りきって、私の上にのしかかる男を殴り飛ばした。さっきまで、殴られてばかりいた大地くんが、初めて拳をふるったの。周りにいた男達を大地くんは次々に殴り倒していった。彼はね、お爺さんにいろいろと教えこまれていて、武道の心得があったの。けど、決して外でその力を他人にふるうことはなかった。そんな彼が、暴漢達を次々と殴り倒していく。私はぼう然と見ていたわ。その時、見えたのよ」
 彼女の手が、私の手を傷痕に導いた。
「ナイフをかまえて、大地くんに跳びかかろうとしている男の姿が。気がついたら刺されてた。大地くんの、驚いて、そして一気に哀しみに満たされる顔を見て、私の意識は途絶えたわ」
 流れおちる佐織さんの涙が、私の手の上に落ちた。
「これが、事の顛末。私があなたに聞いて欲しかった話」
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