Every Day!!
2-9
「ねぇ、花梨。ちょーっと話があるんだけど」
「え、何?」
座っていた花梨は少し顔を上げる。
まだ顔は火照っていて、少しばかり頬が朱に染まっている。
「あのね、大地くんについて何だけど……」
そういった瞬間、花梨の顔が何とも神妙なものになった。
――やっぱり
私は確信した。花梨は絶対大地と深く関わっている。
「へ、へぇ……。わ、私、こ、答えられないかも……」
そう言うと、花梨は俯く。
あーあ、何て可愛らしい反応なのかしら。もしかしてこういうのが大地君の好みなのかなぁ。
百合子は一瞬、仲睦まじく歩く大地と花梨を想像したが、ぶんぶんと顔を振り、その想像をもみ消した。
駄目よ、百合子! 彼の隣で歩くのは私なんだから!
段々と性格が変わってきているが、気にしないでおこう。
とりあえず、百合子はここで大地のことで聞けることだけ聞き出そうと思っていた。
そうすることによって、アプローチのかけ方などがやりやすくなるからだ。
もしかして、告白の機会もしっかりと作れるようになるかもしれない。
一刻も早く、彼にアタックしないともうチャンスがないと考えていたのだ。
相変わらず真っ赤な顔をする花梨を見ると、こいつも大地君のことが好きなんだなぁ、とちょっぴり憂鬱になる。学年一の美少女がライバル。
ああ、もう! 弱気になったら駄目!
邪念を取り払い、花梨が落ち着いた頃合をはかって、彼女をこう言ったのだ。
「私ね、……大地君のことが好きなんだ。だから、いろいろと教えてくれない?」
人の想いは変わっていく。
それは、今までの関係というものを犠牲として――
暗い夜道を、今度は2人で歩く。
今、俺の隣には謎の襲撃者――大八橋源治郎――がいた。
とりあえず、一緒に寮へ向かうことになり、こうして一緒に歩いているというわけだ。
「ハッハッハ、お前と一緒に歩くなんて何年ぶりかのぉ」
「うっせ。ったく、いつまでも元気な爺だ」
「儂はまだまだ死なんぞ。とりあえずお前さんが死ぬまでは生きる!」
「なに、訳の分からないこと言ってんだよ!」
とかなんとか。
無駄話をしながら歩く。
さっきまで暗い道を一人で歩いていたので、ちょっぴり憂鬱だったのだが、少しばかり元気になった。
ま、一緒に歩いているのが爺以外の誰かの方がもっと元気になるんだけどね。
「何!? 大地は儂といることがそんなに嫌なのか!」
「んなこと言ってねぇ!」
はぁ、こいつといると疲れる。
「だいたい、何の為に下校中の俺を捕まえに来たんだ? 理由くらいあるだろう」
そう言うと、爺は少し考え込み、その後「そうじゃった、そうじゃった」と言いながら手を1回たたいた。
「危うく本来の用件を忘れることじゃったぞ、大地」
「俺は忘れてくれた方が嬉しかったけどな。で、何なんだ?」
「お前、モテモテじゃの」
ゴスッ!
俺は思いっ切り目の前の電柱に激突した。
かなりベタだが、そのくらい爺の発言は訳が分からず爆弾だった。
「な、何言ってんだよ、爺!」
「何って本当のことじゃよ。このままじゃ大地に彼女ができるのも時間の問題か」
「知るかボケッ!」
「うっ、お、お祖父ちゃんにぼ、ボケだって……」
爺はしゃがみ込んで地面に「の」の字を書き出した。相変わらず変なやつだ。
「あー、もう、うざってぇ! 本当の用件を言えよ!」
「ふぉっふぉっふぉ。そうするかの」
突然立ち直る爺。もう、あなたの血が自分の中に流れていることが信じられません。否、求めたくありません。
爺は突然、真剣な顔をして俺を見つめてきた。
俺は、黙って爺の顔を見つめる。
「……佐織が転校してくる」
「は?」
俺は、物の見事に固まった。
キュッと、私はシューズの紐を結んだ。
白に赤のラインの入った運動靴。まだ買って間もないので真っ白であまり汚れていない。
いつものように、私はまだ薄暗い中、家を出た。
毎日の日課のロードワークだ。
私の家の前を通る林道は、一方は大八橋学園へつながっているが、もう一方は『八橋山』という山につながっている。
私はいつもその山の麓まで走っているのだ。
だいたい、片道2、5キロほど。往復で5キロだ。
段々と昇ってくる日の光が心地よい。少し湿り気のある冷たい風が頬を撫でる。
淡々とアスファルトを踏みしめ、走る私。私の体力を維持する為に重要な日課だ。
少しばかり坂のきつい道がひたすら続く。
この道はいつも全力で走っている。心肺機能の向上と瞬発力を鍛える為だ。
坂を上りきり、少しペースを落として坂を下る。
その先には、八橋山の登山口と、小さな公園があるのだ。
そこで少し休憩して、そして元来た道を帰る。変わらぬ朝。
しかし、今日は少し違った。
公園のベンチに誰か座っている。いや、仰向けで寝転がっている。
走るスピードを緩め、私はその人に近づいていく。
「あっ」
「へっ?」
思わず声を出してしまい、彼は起きあがって私を見た。
「なんだ、須野か。何してんだ?」
そこで寝ていたのは、同じクラスの岡野だった。
「何ってロードワークよ。あんたこそ何してんの」
岡野はハハハと笑い、俺も、と答えた。
相変わらず、なんか変なやつ。
私は岡野の隣に腰掛けた。
「てか毎日走ってるのか、須野は」
そうよ、とぶっきらぼうに答える私。岡野はそうかぁ、と天を仰いだ。
すでに辺りは明るくなっていて、太陽が東の空から私たちを照らす。
「岡野は何で今日、走ってるの?」
「え、俺か?」
岡野は少し悩んだ末、ポツリと呟いた。
「悪あがきってやつかな」
「え?」
ぽりぽりと頭を掻く岡野。悪あがき?
「何て言うか、俺、昔のこと引きずってるんだよ。いつもはさ、心の隅にしまってるんだけど、突然それが引き出されるときがあるんだよね。そういうとき、動かずにはいられないっていうか、どうしても逃げたい衝動に駆られるんだ。いつまでも引きずってる自分が情けなくてさ。ハハ」
岡野は、乾いた笑いを漏らす。
そのの笑いは、どこか自嘲している笑いだった。哀しい笑い。
いつもの彼からは、想像もつかない姿が、ここにあった――
爺は、実に淡々と述べた。
佐織が、ここ、大八橋学園へ転校してくる。
衝撃の事実だった。
俺の足下がぐらつき、一体ここがどこか一瞬分からなくなった。
佐織の、母が死んだ。
その影響で、佐織はこの近くへ引っ越しし、ここへ通うらしい。
断ち切ったはずだ。なのに、何で……
そのことを考えると、いても立ってもいられなかった。
恐かった。
ただ、自分がとても情けなくなった。
彼女の名前を聞いただけで、胸の中が罪悪感で一杯になる。
夜も眠れず、俺はボーっと部屋の真ん中に座っていた。
気がつけば、ジャージに着替え、外に出ていた。
心地良いはずの朝の風も、日の光も、葉のこすれる音も、すべて耳障りに感じた。吐き気がした。
がむしゃらに、行く当てもなく走る。
汗がしたたり落ち、シャツを濡らす。
こう、逃避行動しかできない自分がさらに情けなくなった。
こんなに、弱い人間だったなんて。
心のどこかで引きずっている。いや、こんなの、引きずってるなんて言わない。手放せないでいるだけなんだ。
すると、いつの間にか小さな公園にたどり着いていた。
俺は、そこのベンチの上に寝転がる。
大きく息を吸う。空気は、美味くなかった。
すぐ近くの木で鳴いている小鳥のさえずりが、遙か遠くで鳴いているように聞こえる。
不安定な心。
すぐに壊れそうな俺。
自分の存在が、一瞬分からなくなる。
――こんな罪深い男なんて、死んでしまえばいいのにな。
「あっ」
突然、隣から声がした。
「へっ?」
そこにいたのは、なんと須野だった。
ジャージをちゃっかり着込み、顔が少し赤い。どうやら走っていたようだ。
どうやら、須野はロードワークをしていたらしい。
ちょこんと俺の隣に座り、タオルで汗を拭いていく。
「岡野は何で今日、走ってるの?」
須野は、実に痛いところをついてきた。
俺は黙ってしまう。
しかし、少しの間をあけて、俺の口が動き出した。
どうして、須野に言ってしまったのかわからない。
ただ、どうしても俺は誰かに言いたかったのだということは分かった。
救いを求めたかったということが分かった。
二人の間に沈黙が流れる。
その沈黙は、何故か気まずくもなく、かといって心地よいものでもない沈黙だった。
突然、須野が立ち上がる。
「どうした?」
「ほら、帰るわよ。こうしていたら体が冷えるじゃない」
そう言うと、俺の手を引っ張り走り出す。
とりあえず、俺も走る。
須野のペースはなかなかのものだった。
そのペースに合わせて、俺も走る。
日の光が、木の葉から漏れてキラキラと輝いている。
「ねぇ」
不意に須野から声をかけられる。
俺は須野の方を向くが、彼女は真っ直ぐ前を向いたままだった。
「何に苦しんでいるか分からないけどさ。とりあえず何も考えずやってみたらいいんじゃない。深く考えないでさ」
俺は黙ったまま走り続ける。
彼女も前を向いたまま話を続ける。
「そんな根暗なやつは私の知ってる岡野じゃないから。目の前のことに真っ直ぐ突き進めよ。悩み事なんてらしくない」
彼女は、俺の前で、振り返った。
彼女は、笑顔だった。
「ね?」
ぽりぽりと、俺は頭を掻いた末、
「そうだな」
と、ポツリと返事したのであった。
「おんどりゃー! ばっちこーい!」
そう言って、バッターボックスでバットを振り回す和彦。
球技大会3日目、午前の部はソフトボールである。
回は3回の表。バッターは1番に座る和彦だ。
相手は高等部2年F組と、早速上級生にあたったが、須野のツーランホームランで2対0と先行している。
ちなみに、ランナーは俺だった(四球で出塁)
朝、須野の言葉のお陰で幾分かは吹っ切れ、こうしていつも通りに俺は振る舞っていた。
とりあえず、あのことは球技大会が終わってから考えよう。
今、ウジウジと考えていても無駄なだけだしな。
カーン!
「うおっしゃぁぁあ!」
雄叫びをあげながら1塁を蹴る和彦。一気に2塁まで陥れた。
この調子で行けば勝てるな。
ネクストバーターサークルに向かう際、須野と目があった。
すぐにプイッと目をそらされたが、その視線にどこか温かい物を感じた。
そっか、心配してくれたんだな。ありがとさん。
心の中だけでそう呟き、グラウンドの方へ目を向ける。
2番バッターはすでに追い込まれており、2塁にいる和彦は塁上にとどまっている。
どうやら、このバッターは諦めたようだ。盗塁すらする素振りを見せない。
その予想通り、2番バッターは次の球を引っかけ、3塁ゴロに倒れた。
俺は2、3回バットを振り、打席に入る。
「キャー! おにいちゃーん!頑張ってぇぇええ!」
「ちょ、恵里!恥ずかしいから少し静かにしろって!」
と、泉田姉弟。
「大地くーん、頑張って!」
と、紗英さんと花梨が見事にハモり。
「大地、打てなかったら今日は組み手の相手しろー!」
と、玲先輩の脅迫が届く。
こりゃ、打たなきゃ駄目だな。
俺は大きくため息を吐く。
まぁ、とりあえず頑張るか。
相手投手を一瞥し、バットを構える。
勢いよく、下手投げからボールが繰り出される。
「ストライッ!」
内角低めに決まった。
さすが2年生と言うべきだろうか。球の速さは申し分なかった。
もう一度、バットを構え直す。相手を見据えて、グッとグリップを握る。
第2球目。
大きなソフトボールが、キャッチャーミットめがけて向かってくる。
――外角の球か!
俺はバットを振る。
鈍い金属の音をが響き、ボールは3塁線を切れた。
そのとたん、張りつめていた空気が少しゆるむ。そしてため息があちらこちらで漏れる。
「あーあ、追い込まれちゃった」
「大にぃ! 焦るんじゃないよ!」
と、またまた泉田姉弟。
「まだアウトになってないから大丈夫だよ!」
「そうよ! 集中集中」
と、紗英さんと花梨のコンビに、
「三振! 組み手! あと1球!」
と、絶対応援してねぇだろ、ってな感じの玲先輩。
苦笑いを浮かべながら、再び構える。
そして、第3球。
鈍色のバットを振り抜き、鈍い、金属音が響き渡った――
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