PREV | NEXT | INDEX

大地のご加護がありますように

4-7

「私は『魔』の研究の第一人者だったんですわ。魔力と魔素の関係。『魔』を起こす術式。すべてに分野に精通し、私はそれらを極めていったんです」
 樫の木の下で、俺は黙ったまま凛の話に耳を傾ける。
「結婚して、娘ができても私は研究を続けたのです。もちろん、育児だってちゃんとしましたわ。代わりに、私の疲労は増える一方でしたけどね」
 自嘲気味な笑みを浮かべる凛。その姿は、あまりにも儚く、そしてあまりにも脆く見えた。
 これが、霊体。
 直感で俺はそう感じた。
 存在しているような、存在していないような、そんなあやふやなもの。死んだはずなのに、生きていたときの面影を強く残しているもの。生きている人間と、死人の狭間に存在するような感覚。そんなものをぼんやりと俺は感じ取った。
 隣にいる凛は死んだ人間には到底思えないほど、ハッキリとした語り口だった。
 だけど、やっぱり彼女は『霊体』だった。
「そして、私は死んだのです。完璧な過労でしたわ。身体が保たなかったの。研究と育児にね。そうして、私は冥界に送られたのですわ」
 無理矢理陽気な声を出す。俺は凛の顔を直視できないでいた。あまりにも哀しすぎて。あまりにも重すぎて。
「冥界から、娘を見守っていたの。爛は気丈に振る舞っていたわ。でも、麗には、私の死は辛すぎたようですわ。彼女は変わってしまったわ。そして、こうしてあなたを使って私を蘇らせようとしているわ」
 そっと、手で俺の頬を撫でた。温かで、どこか懐かしさを感じる。
「怖がらないで。これは麗が望んだことであって、私は望んでいないです」
 だけど、その手には哀しさも含まれていた。頬を静かに撫でる手を、俺は自分の手でそっとつつむ。
「……何で、俺なんでしょうか」
「あら、知らなかったの?」
 心外、といったような表情を浮かべる凛。俺は頷く。
「なら、教えましょうか。あなたは、『魔』を操る人の一人なのですよ」
「え?」
 『魔』という言葉に、俺ははっとする。ここで、今までの点が一本の線となった。
 つまり、俺が生徒会長や、爛にいろいろと構われていたのは俺が『魔』を操る者の一人だから。しかし、それでもまだ証拠が足りなすぎる。『魔』を操る人なら飯場さんだってそうじゃないか。なら――
 ――何で俺なんだ?
 ふふふ、と凛は笑う。
「そうね。その通りですわ。普通に操る者ならハッキリ言って自覚していない者まで含めてこの世にはざらにいるんです。『魔』の根元でもある『魔力』はすべての人の中に存在するのですわ。何故なら、『魔力』は生きるためのエネルギーであり、生まれてから備わっている者だから。強力な魔術師はその『魔力』を多く持っている人なんですよ。あなたは、それほど『魔力』を持っていないのですわ。ごくごくありふれた量の『魔力』しか備わってない」
 でも、と凛は区切った。俺は無言で続きを促した。
「あなたは『魔司』なのよ」
「ま、魔司?」
 聞いたことのない単語が出てきて、俺は思わず聞き返した。今まで『魔』や『魔術』、『魔力』などいろいろと『魔』についての用語を聞いてきたが、『魔司』は初耳だ。
「そう、『魔司』ですわ。『魔』を司る者と書くわ。名の通り、あなたは魔を司る者。自然の恩恵を受け、無意識に『魔素』を得ることのできる人物なのですわ。あなたも飯場さんから聞いたでしょう。『魔素』については」
「何でそのことを……」
 突然、飯場さんが出てきてうろたえる俺。そう言えば、この人はどうも俺のことを知りすぎている。いや、すべて見透かされている気がする。
「安心して。私にはすべて分かるのですわ。あなたが聞いたことも。見たものも。そして思ったことも」
 ぞくりと寒気が背中を走る。この感覚は、生徒会長の笑みに似ていた。優しさの裏に見え隠れする恐ろしさ。どうやら、会長と爛の母親ということに間違いはなさそうだ。今更ながら、そう実感する。
 ごくり、と溜まったつばを飲み込む。喉がからからになっていることに気づく。
「『魔素』を得ることのできる人間は自然に愛された人間のみ。そしてあなたは、『大地』の恩恵を受けているのです」
「大地?」
「あなたの名前と同じですわね。もっと細かに言ってしまうと、この山の恩恵を受けて、あなたは『魔素』を得ている。幼少の頃の思い出のあるこの山が、あなたに力を与えているのですわ。だから、あなたは麗に選ばれた。人は必ず土に返るんです。なら、連れ戻すなら土から。だから、『大地』の恩恵を受けているあなたを麗は利用しようと思ったのでしょう。爛はそんな麗の企みからあなたを助けようとしたのね。まぁ、少し別な感情があったみたいだけど」
 最後の方だけ、凛は少し茶目っ気を入れた。こわばっていた俺の身体の力が少し抜ける。凛の雰囲気に、少し安心したのだ。どこか、爛と似ている雰囲気に。
 そして、俺はハッキリと分かった。
 つまり、凛の言うことが正しいならば、俺は生粋の『魔』を操る者だ。そして、強力な『魔』を使うために必要な『魔素』をこの新見山――どうやら俺が恩恵を受けているらしい山――から得ることができるらしい。
 大地から恩恵を受けている俺は、冥界から凛を連れて来るにはピッタリだったのだ。冥界と大地は密接な関係にあるらしい。人は死んだら土に返るからか。なるほど確かに納得がいく。
 そこで、問題が生じる。
 俺はどうするか。
 会長は俺を霊媒として、凛を具現化させようとして俺をここに送り込み、彼女をここまで連れてきた。彼女の思惑なら、俺はこのまま凛に身体を明け渡さなければならない。
 そうすると、俺は死んでしまう。でも、どうしてだろうか。さっきまで。意識がここに来る前までは死をあれほど意識していたのに、その気持ちはここに来て一瞬で霧散してしまった。
 なら、決めればいい。
 決断の時なのだ。
 薄々、俺が何を決めなきゃならないことには気がついていた。巻き込まれた。いや、思いっ切り当事者になってしまった俺が、周りの流れに乗っておけばいいわけがない。爛も、会長も、そして俺も決めなきゃいけない。
 会長は、俺を使って自分の母を選ぶ決断をした。だけど、それには俺は応えられない。
 ハッキリと、俺は分かってしまったのだ。今まで、俺が失っていた俺の居場所。そこが、どこなのかを。
 爛は、俺を会長から守ることを決断した。俺を守ろうとしてくれたじゃないか。
 なら、ここで死ぬわけにはいかない。俺は生きなきゃいけない。俺の居場所は冥界ではなく、現世であり、そしてあの学園だ。
 そう、今俺はあの学園が自分の居場所であると、ハッキリと自覚したのだ。
 いいエピソードばかりじゃなかった。でもそれは、俺が拒絶したからだ。周りに自分の本当を見られるのが嫌で、そんな弱くて、負け犬な自分がもっと嫌で。そしてそんな場所を自分の居場所として認めるのが嫌だったのだ。
 でも、今はどうだろうか?
 爛のお陰で変われた。
 今日の爛を待っている時、俺はそう思ったんじゃないのか。
 爛は来なかった。でも、すっぽかされたくらい何だ。彼女は俺を変えてくれたじゃないか。返事もろくにしない俺にめげずに何度も何度も話しかけてきてくれて、笑顔を振りまいてくれた。
 俺は、会長じゃなくて彼女に応えるべきなのだ。いや、応えなくてはならない。
「凛さん」
「ん、なぁに?」
 真っ直ぐに、俺は彼女を見据える。小さな微笑みを浮かべている凛さん。でも、その目の奥では、俺の決意をハッキリと感じ取っているだろう。
「俺、帰ります。ここまで呼び出しておいて何ですけど。俺は帰らないといけないんです」
「でしょうね。あなたの居場所はここじゃないですもの。そして、私の居場所も」
「はい。どうもありがとうございました」
「礼を言うのは私の方ですわ。あなたを見たら安心しましたわ。これで任せられる」
「え?」
 ニッコリと微笑む凛の身体は、半分透けていた。ゆっくりと彼女の存在が消えていく。
「彼女を、いえ、彼女たちを、助けてあげて。もう、来てしまうから。私じゃ、どうすることもできないから」
 夕焼けを背に受けて、彼女は消える。あまりのまぶしさに、俺は目を細める。
 風が吹き、そして耳元でハッキリと聞こえた声。

 ――彼女たちを、助けてあげて――

 世界が覚醒する。俺が、いるべき場所へ帰る。
PREV | NEXT | INDEX
Copyright (c) 2006 All rights reserved.