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大地のご加護がありますように

4-4.75

 予定通り、雪恵と紀之は駅前の噴水近くで爛と大地を待ち伏せしていた。
 十時に待ち合わせ。
 そうあの二人は約束していた。だから、こうして雪恵は半分眠っている紀之を無理矢理引っ張ってきて、噴水の陰に隠れているのだ。
「ん〜、眠い。眠らせてぇな、雪恵。ワイ、昨日二時に寝て眠いねんて。ほら、せっかくの休みなんやから……」
「黙れ」
「いや、そう言わんと。って、いったぁぁ!」
 あまりのしつこさに、雪恵は思いっ切り紀之の太腿をつねりあげた。実に痛そうである。
 もしかして、紀之を連れてきたのは失敗だったかしら。
 なんてことが頭の中に浮かぶが、一人じゃ心細いものね。仕方ない。と、適当に自分を納得させて雪恵は噴水見目をやる。
 時刻は九時四五分。そこには、一体いつから待っていたのか、大地がそわそわと落ちつきなく立っている姿が見えた。そんな彼の顔は、何となく嬉しそうな顔だった。
 これからおよそ十五分後。その場所には自分の無二の親友、爛がやってきて「ごめん、待った?」「いや、今来たところ」とかいうべたなカップルの待ち合わせを演出するのであろう。ああ、なんて腹立たしい!
 それもこれも、すべては真野が悪い!
 心の中で、雪恵はそう叫ぶ。
 雪恵は今日、機会さえあれば必ず爛を大地の毒牙から救い出そうと思っていた。
 もちろん、事実とはだいぶ異なっているのだが、一度決めたことや思ったことは決して曲げることのない雪恵には全く関係ない。決めたことにはとことん真っ直ぐなのだ。
 しかし、とここで雪恵は首をかしげる。
 いくら何でも、爛が時間ピッタリに来るなんておかしい。
 もう三年も爛と親友をやっている雪恵には不思議でたまらなかった。
 今まで、爛と待ち合わせしたら必ず三十分前には姿を現すのが普通だった。それだけ爛は忠実(まめ)で、時間に厳しい人なのだ。
 なのに、彼女は十五分前になっても姿を現さない。しかも、今日の待ち合わせ相手は雪恵ではなく大地。そう、男なのだ!
 一体どういうことだ。もしかして来る途中に何かあったのか。なんて憶測が頭の中で飛び交うが、最終的には大地と会いたくないのに、弱みを握られているから仕方がない。でも、せめて時間ぎりぎりに行こう。と爛が考えていると結論づけて、雪恵はホッと胸をなで下ろした。
 いや、こんなところで安心なんてしちゃ駄目だ。アタシは爛を救わないと駄目なのよ。今日、大地が爛をホテルに無理矢理――この無理矢理が重要――に連れこむかもしれない。そんなことになる前に、アタシは爛を救わないといけないのよ。
 なんて、彼女の脳内では自分が爛のヒーローとなる瞬間を何度も何度もリプレイしていた。もちろん、すべて彼女の妄想である。
 とりあえず気を引き締めないと。頬を何度か軽く叩き、噴水前に立っている大地を注視する。ちょっとした隙にどこかに行かれてしまっては、元も子もない。
 が、いくら待てど爛は来ない。
 おかしい。どう考えてもおかしい。
 今思えば、この待ち合わせは爛から誘ったのではないのか? と、雪恵は今更とんでもなく重要なことに気づいた。
 それなら、何で誘っておいた方の爛が来ないわけ。
 さっきまで考えていたことに思いっ切り矛盾しているが、彼女は全く気にしない。むしろ気づいていないという表現が正しい。
 大地の顔は、先ほどまでの嬉しそうな表情は消え失せ、今はただ不安げな眼差しで駅の改札口を見つめている。
 すると、駅の方から大地に近づく誰かが見えた。
 もしかして爛!?
 牛乳瓶の底のような眼鏡をくいっと持ち上げ、近づいてくる誰かを見る。
 その姿は、爛の面影を残した別人だった。
「……何で、会長が…………」
 大地の前に現れた会長は、大地と少し言葉を交わすと、歩き出した。
 それを見届けた雪恵は、隣でいびきをかいている紀之を思いっ切り蹴り上げた。
「いってぇ! なにするんでっか!」
 弁慶の泣き所をもろに蹴られた紀之は半泣きになりながら雪恵を睨む。雪恵はそんな紀之の肩を思いっ切り掴んだ。
「あんた、ケータイ持ってるわよね」
 実に底冷えした、低い声だった。紀之の顔は一気に青くなった。こくこくと何度も頷き、視線で雪恵に許しを請う。
「なら、貸しなさい」
 紀之が取り出したケータイを奪い取り、雪恵は早速ダイヤルを押した。
 耳に押し当てられたケータイからは、相手を呼び出す機械音が聞こえてきた。
 しばらくすると、がちゃっという電話がつながった音がした。
「ちょっと、爛!」
「……雪恵?」
 爛の声はかなり元気がなく、どこか陰りがあった。
「一体どうしたの!? 真野との待ち合わせは十時じゃなかったの」
「ど、どうして知ってるの」
「そんなことはどうでもいい! で、十時よね」
「う、うん」
「じゃあ、どうした行かなかったのよ!」
 雪恵は電話に向かって怒鳴り散らした。電話の向こうで、爛が俯いたのが安易に想像できる。
「いい? 真野はめちゃくちゃ早くから来爛を待ってたのよ。なのに、爛は何してるの。ちゃんと行ってあげるべきじゃないの!」
 返答はない。爛の静かな息づかいだけが、電話から聞こえてくる。
 雪恵はくしゃくしゃと髪の毛をかきむしる。先ほどまでの大地に対する怒りはすっかり消え失せ、今は爛に対する怒りがわき上がっていた。
 実際、こうして物陰で隠れながら大地を見ている間に、大地に親近感が湧いたのである。爛とのデートで、実に嬉しそうな顔をする大地。待ち合わせの時刻よりもはるかに前から来て、ずっと待っている。そんなけなげな姿に、雪恵は今まで彼に対して思っていた憶測が間違っていることに気づき、そしてそんな憶測を思ってしまったことを恥じた。
 だからこそ、爛には言わなければならないと思った。
「あのね。一体何があったか知らないけどね。会うって決めたのはあなたでしょ。それなら最後までしっかり責任持ちなさいよ。しかも、なんか会長が現れて真野と一緒に行っちゃったよ! どうするの」
 だが、やはり返答はない。でも、電話の向こうからは爛が動揺している気配がした。
「どうするかは爛、あなたが決めるのよ。一体何があったのかアタシには分からない。でも、これだけは言える。自分が今すべきことをしなかったら、爛はきっと一生後悔するよ」
 相変わらず、爛は黙ったままだ。――駄目か。雪恵は、大きく溜息をついて電話を切ろうとした。と、その時だった。
「ちょ、雪恵ちゃん! ちょっと待って!」
 爛の大きな声が、電話から聞こえた。
「大地君の居場所。教えて!」
 それでこそアタシの親友。雪恵はニンマリと笑った。
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