大地のご加護がありますように
4-4.5
広く、大きな家のとある一室。ベッドに上に、彼女はうずくまっていた。
どうすればいいか分からない。彼女を導いていた、彼女の中の指針が一気に狂わされてしまった。
指針を失った彼女は、どこに向かえばいいのか分からない。羅針盤がなければ、船は行くべき場所に行けないのだ。
渦巻く思考は、もう何度目だろう、彼女に先ほどのことを思い出させた。
*
今日は、大地君とのデートの日。全身鏡の前で私は着ていく服を選んでいた。
かなり悩む。一体どの服を着ればいいのかサッパリ分からない。とりあえず、大地君に見られても恥ずかしくないような服を選ばないと。
季節は夏にさしかかろうとしているので、薄着にしようと思う。淡いピンクを基調にした服を着てみようか。
クローゼットの中を漁ると、何着か淡いピンクの服があった。でも、どれもだいぶ露出の多い服だ。鏡の前に立って、服を持つ。この服は肩が丸出し。この服はへそが見える。この服は胸元が開きすぎ。あ、この服は肩もへそも胸元も全部みえるじゃない。
どうも、刺激が強いものばかりだ。頬がじんわりと熱くなるのを感じる。
時計を確認すると、まだ時刻は7時だった。すでに服以外の身支度はすべて終わらせていたりする。
大地君はどうしてるだろう?
私は、噴水前で待っている大地君を思い浮かべた。あの人のことだ、私より絶対に早く来ているに違いない。少し、胸がときめいてきた。
少し、不安を感じていた。
その不安は、私の心の中からわき上がってくるものだった。
どこか、懐かしさを彼に感じる。初めてあったときから、何でか知らないけど、その得体の知れない懐かしさを感じていた。
だけど、何なのかは分からないでいた。もしかして心の奥で、知りたくないという感情が無意識に働いているのかもしれない。
分からないから、分からないから不安を感じる。どうしても、その懐かしさの正体が知りたかった。彼に近づけば近づくほど、その想いは強くなっていく。
何故、私は彼に近づいたのだろうか。
今更、何を考えているのだろう。
姉から守るため。そのために私は彼に近づいた。守るだけだ。
でも、それは本当なのだろうか?
心の奥では、もしかして違う理由が存在するんじゃないのだろうか。
十分に、あり得ることだった。
得体の知れない、それでいてじんわりと温かな懐かしさ。その懐かしさが、理由じゃないのだろうか。
それは、とっても失礼で、残酷なことかもしれない。
無意識に、私は彼を誰かに重ねているのかもしれない。
ときめいていた気持ちは段々としぼんでいく。手に取っていた服をベッドの上に置く。
考え直す必要があるのかもしれない。
溜息をつき、私はベッドに腰を下ろす。スプリングの効いたベッド。淡いブルーで統一された私の部屋。
脳裏によみがえるのは、大地君の控えめな笑顔だった。私は、彼の満面の笑顔を見たことがない。
ずきりと、心が痛んだ。誰かの面影が、大地君と重なろうとしている。
あなたは、誰?
真っ暗な闇。私は問いかける。
大地君に重なろうとしている、あなたは誰なの?
だけど、闇は答えず、しん、と私の声だけが虚しく響く。
そんな暗闇に、飲み込まれそうになる。
コンコン――
ドアを叩く音で、私は現実に引き戻される。ベッドから立ち上がり、私はドアを開けた。
「やぁ」
「……お姉様」
ドアを開けた先には、満面の笑みを浮かべたお姉様がいた。
「で、何のご用ですか?」
椅子に座り、ベッドに腰掛けているお姉様に向き直る。きょろきょろと部屋の中を見渡していたお姉様は、にんまりと私にほほえみかける。
「いや、まぁ、可愛い妹が男とデートに出かけるってことだからどんな様子なのかなぁーって思って見に来た」
隣に置いてあった服を手に取り、ひゃー大胆、なんて感想を言っている。しかし、笑顔を浮かべているとは裏腹にお姉様の目は全く笑っていない。きっと、何か企んでいる。
この前、生徒会室に大地君が連れ込まれた。その時、お姉様は『魔』を使った。高度で、実に複雑な『魔』だった。もしかしたら大地君が命を落としかねないくらいの。
間一髪で彼を助けたのでよかったが、私が助けに入らなかったら、と考えるとぞっとする。
「さて……」
そう言って、手に取っていた服を置き、真っ直ぐに私を見据える。
「どうして私の邪魔をするのかな?」
きた、と思った。
お姉様は自分の思い通りいかないなら、その原因を全力で排除するタイプだ。例え、それが身内でも何でも。
「邪魔ですか。何のことです?」
しらを切ってやる。そうする以外、手だてはないのだ。お姉様の『魔』の技術は私を軽くしのぐ。『魔』で争うことになったら私は一瞬で消されてしまう。きっと話し合いで何とかなるだろうけど。
「しらを切るつもりね。まぁ、私と争うなんて爛は考えないもんね」
ベッドから立ち上がり、私の前に立つ。
「私から守るためだけに、彼に近づいたのかな?」
どくん、と心臓が脈打った。
「そ、そうよ」
ぶあっと、冷や汗が流れる。何か、心の中の何かにひびが入った気がする。
「ウソ」
「ほ、本当よ。私は、お姉様から大地君を守るために彼に近づいたのよ」
声が震えている。心なしか、手も震えている。拳を握り、私は俯く。お姉様の顔をまともに見ることができない。
「ねぇ、爛。あなた、大地君を初めて見て何か感じなかった?」
「何、か?」
「そう。例えば――懐かしさとか?」
心臓が暴れる。鼓動はどんどん早くなっていく。
ああ、この人は、どこまで人を追いつめるつもりなのだろうか。
もう、震えは止まらない。何で。何でそこまで知っているの。
何も答えない私を気にせず、お姉様は話を続ける。
「何の懐かしさだったのかしらね。誰と彼を重ねていたのかしら。もしかして、彼はあなたの中では誰かの身代わりでしかないんじゃない。安心できる存在。それは、昔の何かを彼から感じたから。懐かしい、何かが彼にはあったから」
頭を抱えて、がたがたと震えることしかできない。なのに、なのにお姉様はそんな私をさらに追いつめる。
「ねぇ、誰と重ねていたの? 爛」
お姉様はほくそ笑んだ。
*
陽は高く昇っている。一体、どれだけの時間彼女はうずくまっていたのだろうか。
彼女は気づいてしまったのだ。自分の姉の言葉で。彼を一体誰と重ねていたかということを。
母だった。
幼い頃に亡くなってしまった、母に重ねていたのだ。
どこか、彼にはその面影があった。だから、彼と初めて会ったときに懐かしさを感じてしまったのだ。
彼は、母の身代わりなのだろうか。母から受けられることのなかった愛情やぬくもりを、彼からもらおうとしていたのか。
それは単なるエゴだ。本来、彼から受けるべきものではない。なのに、彼女は彼に求めている。
本当に、彼を母に重ねて、そして彼に近づいたのか。
心の中で、そんな疑問が何度もわき上がる。
自分のエゴで、彼を巻き込んだ。
罪悪感で、押しつぶされそうだった。彼に、顔を合わすことすらもうできない気がした。
不意に、携帯電話が鳴った。机の上でぴろぴろと携帯電話は鳴る。出る気はなかったのに、彼女は手を伸ばして携帯を手に取った。
通話ボタンを押し、耳に当てる。
「ちょっと、爛!」
聞こえてきたのは、雪恵の声だった。
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