大地のご加護がありますように
3-1.5
ニヤリと、彼女は不敵に笑った。
チャンスが来た。
書類に目を通し、彼女は頬がゆるむのを押さえきれなかった。
部屋の壁にもたれているのは、この前の男だった。
この男は、それ以来何度か彼女の部屋を訪れている。
「どうです? チャンスでしょう。その情報。集めるのに苦労したんですからね」
そう言って、苦笑いを浮かべる男。彼女には、その言葉は聞こえていない。
感情というものは、人の能力を大きく左右するものだ。
喜怒哀楽から順番に例えてみる。
まずは『喜』。
喜びの感情は、すべてをプラスに考えることができる。
達成感を知っている。やり終えた後の喜びを知っている。
その喜びの力はとてつもなく強い。ハッキリ言えば、ポジティブな考え。それが『喜』。
そして、『怒』。
怒りはすべてに勝る。そう言われるときがある。
怒りは恐ろしい。
復讐というものがその事例を典型的に表しているだろう。復讐は、相手を徹底的に恐怖に陥れることができる。
人間の中で、一番情熱的で、それでいて過激な感情だ。それが『怒』。
次に『哀』。
感情の中では、一番自分自身を弱くしてしまう感情だ。
何事も負にしか考えられず、ネガティブにしか物事をとらえることができない。
が、この感情こそ銃で言う引き金に当たる。
この感情が、激しくなればなるほど様々な感情を引き起こすのだ。
自分だけ、自分だけどうしてこんなに哀しいのか。
そのような理不尽な感情がわき上がり、『怒』りに変わる。
もう、自分は駄目だ。もう、駄目だ。どうせ駄目なんだ。
と、開き直ってしまい何でもしてしまう。開き直ったから、何でもできる『喜』びに変わってしまう。
最後に『楽』。
『楽』しむことは、時に素晴らしく。時に残酷なものとなる。
俗に狂人とか廃人とか呼ばれる人々は、すべての感情が『楽』であることは見て明らかだ。
彼らは『壊れる』ことを『楽』しんでいる。
何かを壊す楽しみ。殺す楽しみ。そして、殺される楽しみ――
人間は感情だけでいくらでも強くなれるし、いくらでも弱くなれる。
その力は、ハッキリ言って計り知れないものだ。
書類を机の上に置き、彼女は男を見た。その書類を置く手は、まだかすかに震えている。
「……あのとき、感知した『力』だけでも計り知れない量だったわ」
「そうですか」
ニコニコと男は彼女を見つめ続ける。彼女はそんな男を無視して、話を続ける。
「でも、このデータでは前より数倍に跳ね上がってるわね」
「ええ、そうですよ」
彼女は、机の書類を一瞥する。
心の中では、最初に彼にデータをもらった時と同じ、疑惑の念があった。
この男を一体どこまで信用して良いのか。また、このデータや、書類は本当に正しいのか。疑問だけを挙げたらハッキリ言ってきりがない。
しばしの沈黙の後、彼女は口を開く。
「これ、本当に正しいんでしょうね?」
どうせ、意味のない質問だ。きっと、この男は自信満々に「ええ、正しいですよ」なんて答えるんだ。
男はくくくと笑う。
「ええ、そうです。正しいですよ」
そら、見ろ!
彼女は、その言葉にウソはないと確信している。何故なら、虚実を教えたって意味はなく、また彼が言ったことは実際合っていたからだ。
現に、この前感じた『力』は半端じゃなかった。押さえるのだけでも精一杯だったのだ。
押さえるだけでも、だ。
絶対的に自信のあった自分の力量でも、押さえるだけしかできなかったのはものすごく彼女のプライドを傷つけたが、それに相応する収穫は十分にあった。
きっと、あの力を使えば、私の願いは叶う。
笑みが自然とこぼれる。
その時、男がいたずらっ子のような笑みを浮かべていたことに、彼女は気が付いていなかった。
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