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大地のご加護がありますように

2-2

「あなた、魔法って信じる?」
 いきなりのことで、俺は呆気にとられた。
 窓から差し込む日の光が微妙な角度で会長の顔に当たり、彼女は目を細める。部屋の明るさは段々と暗くなっているのが分かり、外からは部活動に励む生徒の声と、カラスの鳴き声が混ざって聞こえてくる。
 魔法だって?
 会長の顔を見つめる。彼女はにこやかな笑みを浮かべているが、眼差しは真剣そのものだった。その視線は、俺の顔を見事に射抜いていて、全く顔を動かすことができない。
 一体、何の目的で彼女はそんなことを聞いてくるのだろうか。
 様々な憶測が頭の中で渦巻き、俺は会長を見つめたまま黙り込む。
 俺が信じていないと思ったのだろうか、会長は再び口を開く。
「いいわ。じゃあ、見せてあげる」
 そう言うと、彼女は俺に向かって手をかざす。細い指がめいっぱい広げられじゃんけんのパーの形で俺の顔に向けられる。
 訳の分からない彼女の行為に、俺は首をかしげる。
 会長は目をつぶり、微動だにしない。
 何が起こるのか全く分からない。
 でも、何かが起こる予感はひしひしと感じられる。
 瞬間――
 彼女の手から、見えない『何か』が飛び出してきて、俺の体に飛び込んだ。
 一瞬の出来事で、俺には何が起きたのか理解できなかった。
 ただ、何かが俺の体の中に入っていたことはかろうじて理解することができた。
 それが何なのか、一体彼女は何をしたのか。
 いくつも聞きたいことはあった、でも言葉が出ない。
 脈動を感じる。
 何かが、体の中をものすごいスピードで駆けめぐっている。
 熱い。
 体が熱い。
 今にも皮膚をかきむしって、叫びたくなる衝動に駆られた。
 背中を丸め、ソファの上でびくんびくんと痙攣しながらうずくまる。何か、何かが俺の体を引っかき回している。かき回している。
 息ができない。何度も気を失いそうになる。そのたびに、何故か一気に息を吸うことができ、ぎりぎりのところで意識は保たれる。
 俺の頭は混乱を極めた。
 ただ、俺の体はとてつもなくヤバイ状況にあり、その原因は目の前でまだ手のひらを広げたままの会長であるということ。
 また、きつい激痛が走る。
 背中から何かが出てくる感じがした。
 体がはじけ飛び、俺の中身がぶちまけられる。そんな予感がした。
 会長の手からは今も何かが俺の中に送り込まれ続けている。
 とりあえず、俺は体を丸くし、苦しみ続けることしかできない。
 体の中からこみ上げる『何か』はさらに勢いを増す。
 ぷつっ、と音がした気がした。
 体の痛みが一気に抜け、俺の視界が真っ白なものになる。
 殺風景な光景が、段々と見覚えのある場所へと変わっていく。
 
 ――あれ、俺、ここ知ってる?

 大きな樫の木が目の前に立っていて、小高い丘からは辺りが一望できる。
 そんな場所に、俺は立っている。
 風が鼻をくすぐり、日差しが木の枝を介して俺を所々照らす。
 ――ああ、そう言えばここ、俺が昔住んでいたところじゃないか。
 本当に小さい頃だった。
 まだ親父が生きていて、家族三人で暮らしていた頃だ。
 あの頃住んでいた土地は周りにはほとんど田んぼしかなくて、とりあえず毎日外で遊んでいたんだ。
 田舎は子供が少ないって言うけど、俺が住んでいたところは結構の数の子供が住んでいた。まぁ、小学校は一学年一学級だったけど、だいたい三十人はいたはずだ。
 そうだ。
 その日も俺は外で遊んでいたんだ。
 夏休みの一日だったと思う。
 ――セミ取りに行こう!
 とか言って、俺は虫取りあみと虫かごを持って、サンダルを足に引っかけて勢いよく山へ向かったんだ。
 確か、『新見山』(にいみやま)とかいう小さな山だったと思う。
 いや、あれは山というより大きな丘と言った方が良いかもしれない。だって近くに住む老人が毎朝、健康のために歩いて登り下りしてたくらい低い山だったから。
 舗装されていない砂利道を駆けて、山頂へ俺は向かったんだ。
 その頃も友達はいたけど、それほど仲良くはなかった。だから、いつも俺は一人で遊びに出かけていたと思う。
 いや、もしかして友達なんてものは存在していなかったのかもしれない。
 ただ、いつも一人でいる理由を作るために、『友達はいるけどあんまり仲良くはない』という言い訳を成立させるために、自分の中で存在させていたのだけかもしれない。
 それでも、楽しかったのを覚えている。
 きっと自然が俺の友達だったのだろう。
 自然だけは、常に俺と遊んでくれた。
 空気の香り。
 木の匂い。
 川のせせらぎ。
 セミの鳴き声。
 すべてが、すべてが俺に呼応してくれた。呼べば返事をしてくれたんだ。
 寂しく何て無かった。
 だから、その日も一日中新見山の中を走り回っていたんだ。
 もう、体中泥だらけになって、こけまくったからあちこち擦りむいて。でも、面白かった。
 そうしていたら、あの場所に出たんだ。
 開けた、樫の木がある丘に。
 そこからは、俺の住む町が一望できた。と言っても、ほとんどは田んぼだったけどね。
 でも、小さかった俺にはものすごい感動もんだった。
 だって、自分一人の秘密の場所を見付けたって、ものすごく甘美な響きだろ?
 さらに、夕日が真っ赤に向こうの空を照らしてるんだ。俺はじっと、さっきまでのやんちゃさはどこに行ったんだ? って思わせるぐらいじっと、その風景を見ていたんだ。
 俺は立っている。
 体はもう、小さい頃の俺じゃない。今の俺だ。
 今の俺が、その地に立っている。いや、立っている気になっているだけかもしれない。きっと、今まで思い出したことがなかったからそう感じているんだろうな。
 久々に見たその風景は、どこか寂しく見えた。
 小さい頃と、今とでは、俺は変わりすぎたのだと思う。いろんなものを失いすぎたのだと思う。
 そんな風景の真ん中に、誰かが立っていた。
 あまりにも光が眩しすぎて、俺はその人を直視できない。
 声が聞こえる。

 ……ジョ……ス……

 ノイズが入り、その声はうまく聞き取れない。

 ……ジョヲ…スケ……

 賢明に聞き取ろうと、俺は耳を傍立てる。
 何か、何か大切なことを言って。いるように聞こえたからだ。

 カ…ジョヲ…スケテ……
 カノジョヲタスケテ……




 彼女を助けて――

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