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大地のご加護がありますように

2-1

 昨日、あれだけのことがあったというのに、俺の目の前では魔術研究部のすばらしさや俺が入らなければならない理由を延々と述べている北條がいた。そんな様子に、俺は海よりも深いため息をつく。
 まだ主人が来ていない隣の席を勝手に拝借していて座っている大林がハハハと俺に笑いかける。
「あんさん、ごっつ気に入られとるな」
「……言うな」
 どうやら俺は本格的にこの女に気に入られたらしい。是が非でも魔術研究部に俺を入部させたいようだ。
 早いところこの状況から逃げ出したかったが、まだまだ北條の話は終わりそうにない。
 最近、俺はかなりの不幸体質になっているようだ。あ、入試の時からそうか。
 と、不運にも、自ら『入試』という禁止ワードに触れてしまい、陰鬱な気分になってきた。とりあえず、早く解放してくれ、北條よ。
 ガラリと教室のドアが開き、誰かが入ってきた。俺と大林は同時に振り返る。運がいい。爛だ。助かった。
 彼女は俺と目が合うと、笑顔で手を振ってきた。それに対し、俺は軽く手を挙げて応える。ちなみに大林も手を振っていたのだが、見事にスルーされていた。この際気にしないでおこう。
 俺の前の席に腰を下ろし、かなりいろんな含みのある笑顔で爛は北條に挨拶をした。
「おはよう、雪恵ちゃん」
「う……、オハヨウ、爛ちゃん」
 一気に北條は小さくなり、先ほどまでのマシンガントークは消え失せた。さすが生徒会長の妹だ。
 昨日のやりとりから北條はどうやら爛には頭が上がらないことが分かっていた。
「サンキュ。魔飢留。助かった」
 俺がそう言うと、彼女は少し拗ねたような表情を浮かべる。
「もう、大地君。私のことは爛って呼んでって言ったじゃない」
 そんな表情もかなり可愛くて、俺は一瞬返事に窮した。
 と、とりあえず、下の名前で呼べば良いんだな。
「あ、ああ。スマン。えーっと、ら、爛」
 少し気恥ずかしかったが、俺はなんとか(ここ重要)彼女の下の名を呼んだ。彼女は嬉しそうに微笑み、机に向き直ると、鞄から荷物を取り出し始めた。
「なぁ、大地。あんさん、いつのまにそない仲よぉなってたんや?」
 隣に座っていた大林が俺の耳元に近づき、聞いてくる。
 いや、そんなこと言われても俺にはサッパリだ。
 確かに、思えば爛の行動も実におかしい。初めて会って、それほど経ってないというのにこれだけ親しく接してくるなんて。
 目の前にある彼女のポニーテールが揺れる。
「あんさん、とりゃえずモテモテでんなぁ。羨ましいですわ。ハハハ」
 かなり冷やかすような口調で大林が笑う。
「あー、ハイハイ。大林よ、とりあえず席に戻れ。その席の住人が困ってるぞ」
「あ、」


 そして、今日も放課後に。
 俺はホームルームが終わった瞬間に、荷物を掴んで教室から飛び出した。北條の襲撃から逃れるためである。
 飛び出した教室からは「あー、真野め! 待ちやがれっ!」という北條の叫びが聞こえたが、無視だ。絶対に無視だ。
 階段を一段とばしで駆け下り、一気に昇降口まで来る。
 後ろを振り返り、北條が追ってきていないことを確認して、俺はホッと胸をなで下ろした。こんな日々が、明日もまだ続くのかと考えるだけでげんなりする。
 下駄箱には誰もおらず、まだ明るい日が昇降口を照らす。
 自分の下駄箱を開き、靴を取り出す。履き替えるために俺は前屈みになる。
 不意に、陰が重なった。俺はその陰の先を目だけで見た。
 そこには、ニッコリと微笑む生徒会長の姿が。
 体中のありとあらゆる穴から汗が噴き出た。入学式の時の寒気が再び背中に走る。
 前屈みのまま固まる俺に目線を合わせるかのように、彼女はしゃがみ込んだ。
「やぁ、真野大地君♪」
 噴き出た汗が、一瞬で蒸発した。



「ちょっと、話があるんだけどな。あ、私は魔飢留麗。一応ここの生徒会長。って知ってるよね?」
「……ええ、知ってます」
 とりあえず、俺は警戒感丸出しで生徒会長を睨んだ。首筋から流れる汗がシャツに吸収される。
「そんな恐い顔して睨まなくてもいいって。先輩だからそんな風に警戒してるのかな? それとも……」
 会長は俺の耳元で囁く。『入学式のことかな?』と。
 俺はハッとして、彼女を見た。会長は『やっぱり』と言いたげな笑顔で俺を見る。ひくひくと、自分の口元が引きつっているのが分かった。
「とりあえず、一緒に来てよ。真野君」
 断る隙も与えず、彼女は俺の腕を掴んでずんずんと歩く。あまり力が込められていないのに、俺はその腕がふりほどけなかった。
 そう、何かに引き寄せられるような感じ。吸い込まれるような感覚。
 会長の腕からそんな感覚が俺の体に流れ込んでくる。静かな力の流れだ。
 階段を上がり、二階の奥の部屋。ぶら下げられている表札には『生徒会室』と書かれている。
 ドアが独りでに開き、俺と会長は奥へと進む。
 本能が、ヤバイと告げている。
 何かがヤバイ。脳内でけたたましくサイレンが鳴り、非常事態を告げている。
 なのに、なのに、俺は何もできないでいる。
 ハッキリ言って、手をふりほどいて逃げ出す事なんて他愛もないはずなのだ。
 しかし、できない。
 目の前を、俺の手を引いて歩く会長に純粋な恐怖を覚える。
 ――こいつ、俺に何をしたんだ――
 生徒会室は、中でまた部屋割りされており、一番奥の部屋には『生徒会長室』という看板がぶら下がっていた。
 彼女はドアノブを回し、部屋の中へ俺と一緒に入る。
 目に入ったのは、大きな本棚。部屋の中央に対に置かれているソファ。窓際にある机。そして革張りの椅子。まさに、どこかの社長室を彷彿させる部屋だった。
「さぁ、そこに座って」
 俺はソファに座ると、彼女は向かいに腰を下ろした。
 長い髪をかき上げる。彼女の艶やかな髪は、窓から入る日の光で輝いていた。
 大きく息を吐き、自分を落ち着かせる。とりあえず、落ち着かないとダメだ。
 混乱していた頭を落ち着け、今の状況を整理する。
 目の前には例の生徒会長。あの入学式以来、俺がもっとも気にしていて、それでいて警戒していた人物だ。あのとき感じた寒気は今でも生々しく思い出せる。
 そして、今、こうして生徒会室で俺と面向かって会長は座っている。
 何故か、こうなる予感は俺の中であった。いつか、必ず会長と何かがあると。
 しかし、こうも早くこうなるとは思ってもいなかった。
 まだ外は明るいが、日は西に傾いている。グラウンドからは部活動に励む生徒達のかけ声などが聞こえてきた。
 会長は話があると、俺をここまで連れてきた。
 なら、その話とやらを聞いてやろうじゃないか。
 俺は腹をくくった。会長を正面に見据える。
「で、話って何なんだ?」
 会長は、待ってましたとばかりに、俺に笑みを向けた。
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