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大地のご加護がありますように

1-2

 一年三組の教室には、まだ半分くらいの人しかいなかった。時間は間もなく八時三十分を差す。新入生は九時までくればいいので、かなり余裕を持っていた。
 自分の席を探し、座る。廊下側の、前から三番目というこれまた微妙な席だ。頬杖をつきながらボーっとする。
 窓側の席なら暖かな春の日差しがポカポカと体を温め、すぐに眠りの世界へと導いてくれるだろうが、あいにく廊下側の、しかも冷えた空気しか来ない席にいる俺は眠りの世界へ行くこともできず、適当に暇をもてあます。
 同じ中学連中だろうか。三人ほど、固まって仲良くおしゃべりしている光景が見える。……少しだけ羨ましい。
同じ中学でこの学園へ進学した者はいない。つまり、この学園内で俺を知るものは全くいないということだ。俺はあんまり人付き合いが得意でないから、自ら新しい友達を作るのは少しばかり難しい。否、ハッキリ言ってかなりの難題だ。
どっちにせよ、友達など作る気はさらさら無かった。ただ、ちゃっちゃと今日という日が終わらないかな、と心の中で願うだけ。一刻も早く来るべきでなかったこの場所を去りたかった。
これから毎日通う学校。招かれざる生徒である俺。息苦しくてたまらない。なんだか、本当にこの場にふさわしくない浮いた存在だった。
新たな学校に心踊らすわけでもなく、冷め切った目で辺りを見回す。そんな眼差しは、あきらめか、それとも哀しみか、よく分からないものが写っているだろう。
気がつけばチャイムが鳴り、立っていた生徒も席に座る。まぁ、入学式だもんな。先生が来る前に座るのは当たり前か。
 ガラリと教室のドアが開き、五十過ぎの老いぼれた教師が入ってくる。どうやら担任ではないらしい。入学式の段取りなどを簡単に説明し、とりあえず式を行う体育館へ向かう。
 体育館にはすでに二年、三年の生徒が揃っており、席に着いていた。その両脇を固めるように新入生の父兄が座っている。
 何故、わざわざこんなことをするのだろうかと首をかしげつつ、ま、めでたいことなんだしなと解釈し、列を乱さぬように歩く。
 自分の席に腰掛け、前を向く。壇の下にはどこから送られてきたか知らないが、多くの花束が置いてあり、どれもこれも『ご入学おめでとうございます』と書かれている。
 とりあえず、ボーっと前を見つめる。
 さっきから入れ替わり立ち替わり、いろんな人が壇上に上がりくどくどと話をしている。ハッキリ言ってうざったい。
 あくびを何とかかみ殺し、押し寄せる睡魔を抑えつけて何とか話を聞き続けた。
 小さい頃から、人の話はちゃんと聞きなさいという母の教えを俺は忠実に守っているのだ。しかしながら、睡魔と戦っているのに話が聞けるわけもなく、お偉いさん方の話は右から入って左から出て行っていた。
「では、在校生代表の挨拶です。生徒代表、生徒会長、魔飢留麗さん。壇上に上がってください」
「はい」
 一人の女子生徒が壇上に上がっていく。
 その動きはきびきびしていて、背筋はピンと伸びていた。
 彼女はマイクの前で一礼し、体育館の中、いや新入生を見渡す。
 なかなかの美人だった。いや、かなりの美女と言ってもいいだろう。腰まで伸びた真っ黒で綺麗な髪。ハッキリとした顔立ち。ぱっちりした目。それでいてスレンダーな身体。俺の座っている位置から壇上とはなかなか離れていたが、それでも目で確認できるほど彼女は美人だった。
 すぅと小さく息を吸い、彼女はしゃべり出す。
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます」
 と、始まりは定番のスタート。再び睡魔が襲ってくる。かなり強烈なやつだ。
 その後も、彼女の話は一度も脱線せずに、やっぱし定番のお堅い挨拶のまま。
 しかし、彼女の挨拶が終盤にさしかかってきた頃、
「とりあえず、この聖術学園での三年間を思いっ切り楽しんでください。ああ、それと……」
 その時、俺は背筋にゾクゾクッと寒気を感じた。
「どうやら今年の新入生にはなかなか面白そうな子がいるようですね。大変楽しみです。まぁ、寝ているのは感心しませんけど。では、これで私の挨拶を終わらせて頂きます。生徒代表三年五組、魔飢留麗」
 ニヤリと、彼女は壇上から笑う。その視線は明らかに俺に向けられており、思いっ切り目が合った。
 周りの者たちはなんだなんだと少しざわついたが、すぐに盛大な拍手を彼女に送る。
 そんな困惑と感銘の入り交じった拍手と共に、彼女は含みのある笑いを残して壇からゆっくりと下りていった。
 そんな彼女を目で追っていく。
 さっきのは何だったんだ?
 頭の中はそんな疑問で一杯だった。
 確証はないのだけれど、自分が名指しされたように感じた。そしてあの視線。
 彼女と目があったとき、全身に電撃のような寒気が走った。一気に眠気が覚めるほどの寒気だ。
 もしかして、目をつけられたかも。いや、もしかしてじゃなくて確定かもしれない。
 考え込んでいる間も、式は厳かに進んでいった。


 式はつつがなく進み、アッサリと終わってしまった。
 俺は再び教室の廊下側、前から三番目の席に腰を下ろし、担任の登場をとりあえず待っていた。
 が、頭の中は入学式での会長のことでいっぱいだった。
 そういえば、あの人魔飢留麗(まきる れい)って名前だったよなぁ……
 ぼんやりと、彼女の名前を思い出す。
 魔飢留という実に珍しい名字を持つなと思った。そんなあの人は一体何を考えているのだろうか。まさか、このままこの教室に乗り込んできて『よくもさっきは私の話の最中で寝てたわねっ!』とか言いながら俺を皆の前で血祭りにあげるのではないか?
 俺はそんな激しい妄想を、頭を振って否定した。ったく、何を考えているんだ、俺は。
 だいたい、あの会長とは初対面。今まで会ったことさえないし、だから一対一で話すらしたこと無い。つまり、面識はなくただ純粋に寝ていた生徒を注意しただけではないのか?
 それに、もしかして俺の近くに他に寝ていた生徒がいたのかもしれないじゃないか。そうだ。そう考えると納得がいく。
 でも、確かにそう考えるとつじつまが合う。それでもわざわざ壇上から、しかも挨拶の最中にそんなことを言うだろうか? それに、その前に言っていた一言もかなり気になるし、謎だ。
 見事に俺の脳は無限ループにはまり、延々と思考を巡らす。
 あの会長は何者なのか、から始まり、結局は自分と一体何があるのか、という疑問に行き着き、やっぱりあの会長は何者なのか、という疑問に戻ってしまう。ハッキリ言ってかなりの悪循環だ。
 そんな無限ループがいよいよ五周目に突入しようかというときに、勢いよく教室のドアが開け放たれた。
 ドアの向こうからは、三十を少し過ぎたくらいの男の教師が入ってきた。なかなか大きな体をしており、ビシッとスーツが決まっていたが、残念ながらチャックが思いっ切り全開だったのが激しくマイナスだ。そんなことには気づかず、男は教壇に立って辺りを見回す。かなりニコニコとした顔で、今度は名簿らしきものに目を通す。
 周りの連中の顔を見ると、誰もが心なしか少し緊張した顔をしていた。ていうかみんな、何でそんなに緊張した顔をするのか分からない。とりあえずあの男のチャックが全開なのに気づいてほしい。いや、心からそう思う。頼むから、ホントに。
「あ〜、うぉっほん。諸君、入学おめでとう。私がこのクラスの担任だ。名前は大垣悟郎という。とりあえずヨロシクだ。うっし、とりあえず確認と自己紹介も兼ねて出欠を取る。名前を呼ばれたものは自己紹介しろ」
 そう言うと、パラパラと名簿をめくる。
「あ〜、浅田雄一」
「は、はいっ」
 緊張した面持ちで出席番号一番の彼はどもりながらも自己紹介を始める。そんな様子を俺はボーっと眺めた。
 なんか、自分だけどこか冷めている気がした。
 この場にふさわしくない。緊張も、不安も、そして期待も。そんなもの何も持たずこの場にいる自分は、ひどく惨めだった。
 入試にさえ落ちなかったら、なんて死んでも言えない。何故なら自分は入試に落ち、今ここにいるのだから。
 次々とみんなは自己紹介をしていく。みんながどっと笑ったり、時にはヤジを飛ばしたりしてる中、自分だけが切り取られた空間にいるような気がする。
 何故だろう、こんなにも寂しく感じるのは。
 高校生になる――自分がどれだけ高校という響きに想いを馳せていたか。中学時代、必ず開明の制服に袖を通す、なんて高い目標を立て、ただがむしゃらにやってきた。
 なのに、なのに、なのに――
 ぐっと拳を握り、唇をかむ。
 どうやら、かなりの重傷らしいな。俺は自嘲気味に乾いた笑いを出す。
 今更、何をどういったって、どう考えたってこの現状は変わらないのに。
 気がつけば自己紹介は半分以上終わっており、間もなく自分の番というところまで来た。
 目の前の席の子が立ち上がる。ポニーテールの女の子だ。
「ええっと、次は魔飢留爛か。あ、悪いが後ろ向いてくれ。前から二番目の席だしな」
「あ、はい」
 そう言うと、目の前の子が振り返る。そして――
 ――絶句。
 目の前にいたのは、生徒会長そっくりな女だった。
「ま、魔飢留爛(まきる らん)といいます。ええっと、入学式に挨拶した魔飢留麗の妹です。と、とりあえずよろしくお願いしますっ」
 さっきまで考えていることがふっとび、またあの会長の含みのある笑いを思い出す。
 ぶあっと汗が出て、背中にたらりと流れるのを感じた。
 なんだか、ものすごく嫌な予感がした。
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