君へ。
桜並木を歩く。春独特の陽気を肌で感じながら、ゆっくりゆっくりと僕は足どりを確かめる。
そう言えば、君と二人でここを毎日歩いたね。ころころ変わる君の表情を、僕は苦笑いやら何やらよく分からない表情を浮かべながら見ていた気がする。
この道には、たくさんの思い出がある。
あの頃は僕もまだ幼くて、なのに精一杯背伸びして大人に近づこうとしていた。いや、ただ大人の真似をしようとしていたんだ。僕は背伸びしているというのに、君はすでに大人びていて、きっと僕はそんな君を見て焦っていたのだと思う。
忘れもしないあの雨の日。傘を忘れた僕に、君は黙って広げた傘を差しだした。あれって、同じ傘に入れの意味だったのに、僕は勘違いしてその傘を取ってしまったんだよね。あのときの君の困ったような顔に、頭にはてなマークを浮かべた僕は実に滑稽だった。結局、君と一緒に帰って、そして君が僕に告白してくれたんだったよね。
最初は何がなんだか分からなかった。けど、少しして意味が分かって、気恥ずかしいしどうすればいいか分からなくて、僕は真っ赤なままぱくぱくしていたっけ。そんな僕を、君はずっと心配そうに見ていた。なかなか答えを出さない僕を置いて雨の中、走って行ってしまって、取り残された僕はひどく虚しかったよ。できれば、傘も置いていってもらいたかった。梅雨の雨は少々身体に堪える。
その次の日、僕はちゃんと君を呼び出して、そう、太陽が真上でかんかんに照りつける屋上で返事したんだ。僕も、好きだよ――って。
あのときは驚いた。突然ボロボロと泣き出す君の前で、僕は右往左往、どうしたんだよ、ってオロオロしながら言ってたよね。君は目にゴミが入っただけだって言い張っていたけど、実は僕、君の涙の意味を知っていたんだよ。まぁ、どーせ君はそのことを言ったとしても、違うと言い張るだろうけどね。
その後だ。
告白したのは良かったけど、これからどうすればいいのか全く分からなかったんだよね。今までずっと、仲良くしてきただけに、恋人って何をすればいいのかさっぱりだったんだ。
だから何度も喧嘩した。気が弱かった僕はいつもオロオロして、そして君はボロクソに僕を罵った後、うっすらと涙を浮かべて走って行っちゃうんだ。いつも、僕が追いかけて謝って、アイスクリームを買ってあげてご機嫌を取った。あの頃、僕の財布からの支出のほとんどは君のアイス代だったんだよ。
別に、君と喧嘩した思い出しか覚えてないワケじゃないよ。もちろん、君との楽しい思い出だって僕はハッキリと覚えている。
そうだ。修学旅行に沖縄に行ったときだ。ベタに夕日の浜辺で僕らは座り込んでお話ししてたよね。その日は確か、君のビキニ姿に思いっ切り男の反応をした僕を、君がねちねちと苛めてきて、僕がへそ曲げちゃって、さすがに非を認めた君が謝ったんだよね。そう言えば、君が初めて謝ったことじゃなかっただろうか。意地っ張りな君は、いつも絶対に非を認めなかったもんね。
夢の話だった。夕日で三割り増し綺麗に見えた君の横顔をちらちらと盗み見ながら、僕らは夢の話を交わしたんだ。
――先生になりたい――
君はそう言った。潮の匂いを肌で感じながら、そしてさざ波を背景に。
残念ながら、そのとき僕が言った僕の夢は覚えていない。きっと、君の真摯な想いに、漠然としか持っていなかった僕の夢がちっぽけに見えて、記憶に残らなかったからだと思う。どちらにせよ、その夢が叶う日は来なかったのだろう。何故なら、僕の夢はあの日に決定づけられたからだ。
君へ。
そう言えば、漠然とした不安があると、君は僕に言ったことがあったね。
乱れたベッドの上で、二人裸で、君は暗い窓の外を見ながらそう言ったっけ。
世界はこんなにも美しくて輝いているのに、私の中にいつも不安がある。
僕の胸を、君の細い指でなぞる。いつもいつも、君は二人愛し合った後、哀しそうな表情をした。だけど僕には、君の浮かべる表情から一体何に怯えているのか、何を不安に思っているのかが全く分からなかった。ただ君の髪を、静かに、そして優しく撫でることしかできなかったんだ。
月の明かりに照らされる君はこんなにも美しくて、こんなにも哀しい。君の中にいたはずの僕が、一瞬だけほっぽり出されてしまう。
怯えていたのは僕だった。不安になっていたのは僕だった。
そんな簡単なことに気づいたのは、君がいなくなってから。僕は最後の最後まで、気がつかなかったんだ。君の発する、SOS信号に。
君へ。
君との思い出がたくさんつまった道を、僕はまたゆっくりゆっくりと歩いている。脳裏に甦る君の笑顔は、今でもあのときのままだ。
お願いがある。今の僕を、見ないでほしい。変わってしまった僕を見ないでほしい。君の中の僕は、昔の僕のままでいてほしいんだ。気の弱くて、いつも君に振り回されて、ナンパも追い払えないくらいの根性無しで、大切なところでいつも何か失敗してしまう。そんな僕を見てほしい。
そして、僕は君を忘れない。僕の中の君は、あの頃のまま。気の強そうな目をキッとつり上げて、それでいてその眼差しの奥には優しさを宿した表情を、僕は決して忘れない。今はもう僕の隣にいない、君のことを。
あの過去の日。僕の隣には君がいた。でも、今はいない。懐かしいこの桜並木を、僕は一人。歩いている。
「せんせーい。おはよーございます!」
一人、僕を追い越す学生。元気いっぱいに、肩からは重そうなスポーツバックを引っさげ、走っていく。
君が叶えられなかった夢。今、僕は君の夢である教師になった。だけど、勘違いしないでほしい。君の夢を叶えようとして、僕は教師になったんじゃない。僕が教師になりたいから、なっただけなんだ。
もう一度言う。今の僕を見ないでほしい。君の中の僕は、あの頃の僕のままにしてほしい。
今の僕は別人だ。君がいなくなったその時から、僕は君の中にいた僕じゃなくなったんだ。後悔にまみれ、罪悪感に押しつぶされ、そして、偽善を並べて生きている。そんな僕を、見ないでほしい。
でも、君は僕の中にいる。君と過ごした日々は、思い出として僕の中に生きている。
君へ。
今僕は、丘の上を目指し、今日もまた歩いていく。精一杯、今という時を生きている。
第七回うおのめ文学賞出展作品