彼と彼女の1500という数字
第1話 1500って知ってるか?
ねぇ、突然だけど一五〇〇メートルの自由形って種目、知ってる?
まぁ、全然メジャーじゃないけどね。ほら、一〇〇とか二〇〇の自由形とか平泳ぎと比べれば。
だって、ずっと同じ泳法で一五〇〇メートルも泳ぎっぱなしなんだぜ? つまんないよなぁ。あっという間に終わったりしないし、接戦にもあんまりならないし、白熱しないし。
だいいち一〇分以上も泳ぎっぱなしなんておもしろくない。やっぱ競泳ならめっちゃ速いスピードでバッと結果が出る方が良いね、うん、やっぱそうだよ。
だけど、一五〇〇には何か魅力がある。
飲み込まれそうな魅力がある。
それは、端麗な女が出すフェロモンにも似ていて、また、子供がヒーローに対して持つ想いにも似ている。何とも言えない魅力。
そして、俺もその魅力の虜になった。そう、俺は一五〇〇メートル自由形の水泳選手である。
ハッキリ言って、一五〇〇は全然きつくない。
端から見れば、メチャメチャきつそうに見えるが、そんなことはない。
ただ、怠いのだ。とても怠い。だって、ただ黙々と手と足を動かし続けるんだぜ? 怠くならない人の方がおかしい。てか疲れなんて感じないんだ、実際。
でも、かなり楽しい。後半になってくると、どれだけ泳いだか分からなくなってきて、かなりハイテンションになってくる。手足はかなり怠いんだけどめっちゃ楽しくなる。ほら、クスリ使った時みたいな感じ? かなりの快感。もう、たまらないね。
だから俺は一五〇〇が好きだ。この上ない程好きだ。あの泳ぎ切ったときの達成感、快感。もう何とも言えないのよ。うん。
でもね、一五〇〇は人気無いのよ。全然無い。まず、誰もが一五〇〇の自由形って聞いただけでもうひいちゃうみたい。
だって、五〇メートルプールを一五往復だもんね。やっぱゾッとするよ。きっと普通に競泳やってる人でも「一五〇〇はちょっと……」って言うに違いないよ、絶対。
まぁ、俺は何で一五〇〇をやり出したかというとね、ちょっとした勢いからだったのよ、勢い。
その頃、ちょっと調子が良くて、「この調子だったら一五〇〇もやれるぜ」なんて言ったわけ。後はもう分かるね。はい、決定。「男子一五〇〇自由形五コース西田君、大和田中学校」ってアナウンスされたわけよ、大会でね。
その大会は夏のブロック大会でね、市の中学校が集まってたのよ。あ、この上が県大会ね。
ホントに暑い日だったね。最高気温が確か三五度だったっけ? 水温が三二度もあったんだよ、信じられないね。屋外プールだよ。もうコンディションは最低。あり得ない。でも、泳がなくちゃいけないんだけどね。
もうね、さすがに初めて出るんだからさ、俺、もうガチガチだったよ。あんな事言わなきゃ良かったって本気で思ったね。口は災いの元っていうけどその通りだね、全く。ことわざをなめちゃいけないね。本気でことわざ勉強しようと思ったもん。冗談じゃないからね。マジで。
招集場所に来たら、更に緊張するわけ。うわ、俺がこんなに緊張する人間だっただなんて初めて知ったね。だって今までこんなに緊張すること無かったからさ。大会には出慣れてたつもりだったんだよ。だけど緊張。一〇〇とか二〇〇とはなんだか違うような緊張感だったね。それに泳ぎ切れるかどうかっていう不安もあったのよ。
だって、それまで俺は真髄のスプリンターだったから。まぁ、そんなに速くなかったけどともかく短距離を専門にやってたわけ。
だから一五〇〇って距離は未知の世界なの。一〇〇とか二〇〇とかやってた俺にとってはね。
俺の他に一五〇〇はたったの二人しかいなかったのよ。な、人気無いでしょ。一人は妙に落ちついてんの、嫌ね、全く。そんなにすました顔してんじゃないよ、怒るよ、マジで。もう一人は対照的におどおどしてるわけ。これだよ、この反応。やっぱこうなるよな。でも、いくら何でもおどおどしすぎ。なんか辺りをキョロキョロしてるし。挙動不審ですか?
前の種目は女子の八〇〇の自由形だったからかなり時間があったね、うん。俺はその直前のリレーにも出てたから助かったよ。ほら、休憩しないと泳げないじゃん。心拍数とか整えなくちゃいけないし、泳いで固まった筋肉をほぐさなきゃいけないから。だから一〇分近くも休憩できるってかなりありがたいんだよね。
そして、気がつけばいよいよ俺の番。俺はエントリータイムが他の二人より速かったのかセンターの五コース。あ、競泳は速い人から中央のコースを泳ぐんだ。一番は五コース、二番は四コース、三番は六コースって順にね。
俺は五コースが嫌いでね。何故かって言うと、ほら、一番速いって事で注目されるし、両サイド挟まれるっしょ。一番真ん中のコースだからね。
それが嫌なんだよ。俺はできたら七コースか三コースが良かったなぁ。
審判の笛で飛び込み台に上がる。ちょっとブルッと震えたね。一五〇〇って未知の世界に足を踏み入れるんだって思ったらね、その時は。
俺は元々飛び込みが下手でね、全然跳べないの。だから最近は足をずらすクラウチングスタートっていうのをやってるの。
これがまた気持ちいいのよ。めっちゃ遠くに跳べるし、キレイに入れるし、気持ちいいし。これを教えて貰ったときには感動したね。おお、って感じ。何とも言えない感動だったね。
もちろん、一五〇〇もクラウチングスタートでスタートしたよ。ピっていう電子音に合わせてスタートしたさ。手から足先までキレイに飛び込めたね。なんかスッとするようなスタート。気持ちよかったな。
その後は無我夢中で泳いだね。だって六コースのやつが速いんだもん。コイツ絶対エントリータイムごまかしたなって思ったからね。俺も負けじと飛ばしたよ。一五〇〇だからペース考えないと駄目なのにね。
とりあえず、八回目くらいのターンあたりでは俺が体一つ分リード。でも、すでに結構バテてんの、俺。ちょっと腕が怠かったね、もちろん足もね。
最初の内はちゃんとどれだけ泳いだか記憶してたわけよ。でもね、段々と分からなくなるわけ。疲れてね。で、逆にハイテンションになってきたのよ。その時感じたね、この快感だって、これを求めていたんだってね。段々と腕の回転が速くなってくるのが分かったね。疲れているんだけど力がわき出てきてるわけ。
ああ、一五〇〇ってこんなにも楽しい物なんだって初めて知ったね。みんなに教えたくなったよ。
で、気がつけばぶっちぎりの一位。顧問が走ってきたね。「オイ。速いぞ。かなり速いぞ。」ってね。
聞いたところ大会新記録を更新してたんだって。まぁ、二、三秒くらいらしいけど。もしかしたら全国中学にもいけるかもっていうくらいの好記録だったね。
俺も驚き。だって、最初は泳ぎ切れるかどうか心配してたんだぜ? もう、泳ぎ切れるかなんて問題外の心配だったね。なんて俺は小心者なんだって思ったね。
でも、中学三年の急ごしらえの一五〇〇メートルなんかで全国中学ってやっぱ無理なのよ。何とか近畿大会までは出れたけど、そこでストップ。結局、決勝八位だったね。上には上がいるもんだなぁって痛感したよ。井の中の蛙大海を知らず、だね(あ、ことわざ勉強して覚えたの)
なので、俺は今、高校で泳いでいるわけよ。もちろんインターハイ目指してますよ。頑張ってますよ。
だって、俺は一五〇〇自由形のSWIMMERだからね。
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