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とりあえず、この目の前で眠りこけている男を何とかしないと。
店員に頼んでタクシーを呼んでもらう。んで、タクシーの運転手さんにあとは何とかしてもらおう。うん、その方がいい。
タクシーは意外と早く来た。店員の助けを借り、タクシーに男を放りこむ。
ポケットを漁ると名刺があった。私はそれを読みもせず、運転手さんに渡す。
「ここ、きっと家だと思うので。ここまでお願いします。料金は着いたらこの人に言ってください」
「ああ、分かったけど。嬢ちゃんは乗らんのかい? この人の知り合いじゃないのか。酔って寝てるみたいだし」
「いえ、いいんです。とりあえず、お願いします」
そう言って、私はタクシーのドアを閉めた。エンジン音が、ゆっくりと遠ざかる。
きっと、これでもう二度とあの人と会うことはないだろう。何だか、ちょっぴり淋しい気持ちになった。
ふぅ、と大きく息を吐いて、私は家路につくために駅の方に向かった。
ほんの些細なことだった。
変わり映えのしない日々。どこか空虚な毎日。
朝、目を覚まし、学校に行って、ボンヤリと授業を聞きながし、友人達と無意味な会話を弾ませる。学校が終わると、マクドとかで自分とは関係ない恋愛話とか、会ったこともないような芸能人談議に花を咲かせる。買えもしない服を見てキャッキャと喜び、うすっぺらい内容のメールを延々とやり取りする。
稀薄な友人関係にすがりつき、いつ自分が切りおとされるか、ということにビクビクしながら、孤独になることに脅えながら過ごす毎日。
そんな、息苦しい日々に、私はうんざりしていた。
素を出せない毎日が、抑圧される自分が、堪らなく辛くて、ものすごくいやだった。
今すぐこんな世界から逃げだしたい。自由に。そう、自由に生きたい。
そんな思いを募らせながら、私は生きていた。息をひそめて、自分を殺して生きていた。
けどやっぱり、私は普通の女子校生でしかなくて、ただの子供で、我慢なんてそうそうできない現代っ子だった。
高校に入学して、とうとうぷっつんと我慢の限界を迎えてしまったのだ。
溜まりに溜まったストレス。だけど、実際の生活で――つまり学校で――暴発させるわけにはいかなかった。
ならどうすればいいか。私は迷った。夜は眠れないし、勉強には集中できない。そんな毎日が続いた。
友人曰く、その間の私の状態は相当すごかったらしい。何かの精神病を患ってしまったんじゃないかと、心配になるほど。
結局、私は何とか解決法を見つけた。その後は驚くほど私の状態は落ちつきだした。
まぁ、その解決法というのが、もう一人の自分を作るというとんでも無い方法だったのだが。
――二十六歳OL。ハンドルネーム『シズ』
それが、私、日野静(ひの しずか)が作りだした、もう一人の私。
いくつもの出会い系サイトに登録して、姐さんと呼ばれるもう一人の私。
きっと、それがまずかったんだろうなぁ。何でよりにもよって出会い系だったんだろ。
だけど、絶対にリアルで人と会うことはしなかった。そう、今日この日までは。
マサというハンドルネームで、私のチャットルームに彼が入ってきたのは二ヵ月ほど前。
登録年齢は二十歳としていたけど、彼は十六歳だと告白した。
時折見せる言動の幼さから、私も彼が十六歳であることを信じて疑わなかった。
いや、それだけじゃないかな。
妙に、惹かれるところがあったのだ。何か、私の全てを受けいれ、肯定してくれる。何故か彼からはそう感じられた。
親密になってきて、住んでいるところが近いことが分かった。つい嬉しくなってしまって、気がついたら「会わない?」と私は彼にメールしていた。
送ってからとても後悔した。だって、本当の私は二十六歳なんかじゃない。十七歳のただの女子校生。会えるわけがない。
でも、心の何処かではマサくんだから何とかなると思っていた。彼は十六歳だし、私と一個しか違わない。それに、彼は私の全てをきっと受けいれてくれる。
そして、本当のことを言えないまま、今日を迎えた。
結果は、まぁ、ご覧の通りだ。
マサくんも私のように自分を偽っているとは考えもしなかった。でも、冷静に考えれば、出会い系サイトじゃそう珍しいものじゃないのかもしれない。
けど、何だかなぁ、と思う。
どこかあの男は変だった。いや、正しく言うと下心あって身分を偽っていたようには見えなかった。
まぁ、私の直感でしかないので当てにはならないと思うけど。
とりあえず、もう出会い系サイト、いや、ネットからは手を引いた方がいいかもしれない。今日みたいな事がもう二度と起こらないとは限らないし。やっぱりネットは恐い。
そうなると、私は新たなストレス解消の場。日常では満たされないところを満たしてくれる場を見つけないといけない。
でもなー、ネットを使わないとしたらなかなかそんなのないぞ、たぶん。
あー、どうしよ、ホントに。
悶々と思考を巡らせているうちに、自分の家の前まで来ていた。考え事をしていても、家には帰れるものなんだ。帰巣本能?
家に入ろうとして、背後から車の明かりに照らされる。振り返ってみると、タクシーが一台走ってきた。
タクシーは私の向かいの家に止まり、ドアが開いた。
「ほら、お客さん。つきましたよ。起きてください!」
「んんーっ、これはどういうことだぁ! 二十六歳のOLのはずじゃなかったのかぁ!」
「何意味不明なこと言ってるんですか。ほら、お代を払って降りてください!」
「こ、こんなの、こんなのってないだろぉー!」
私は思わず、痛む頭を押さえた。